AIと一冊の本を書いて、自分が無意識に守っていた「執筆契約」を発見した

【この記事はもちろんAIを使って書かれています】

簡潔版(2026-08-16追加)

AIと長編を書くとき、プロンプトより重要だったもの

ClaudeやChatGPTと技術書を改稿した。章ごとの草稿はそれぞれ読めるものの、一冊にまとめると表現が重複し、章間の参照や予定していた説明が抜けた。AIの会話セッションは、本全体についての編集判断を共有していないからだ。

そこで、目次、ページ配分、章間の依存関係、未検証の主張、重要な言い回しをファイルにまとめた。各セッションの開始時にそのファイルを読ませ、作業後に新しい判断を書き戻すようにした。

さらに、各章が何を引き継ぎ、何を説明し、何を次章へ渡すかを決めた。同じ比喩や決め台詞を何度使うか、変わりやすい情報を本文とデジタル付録のどちらに置くか、主張をどの資料で裏づけるかも一覧化した。私は、こうした編集ルールを「執筆契約」と呼んだ。

重複表現、ページ数、参照漏れなど、機械で判断しやすい問題はスクリプトで検査した。一方、文章の自然さ、技術的な妥当性、安全性は人が判断した。自動検査の役割は、良い文章を保証することではなく、すでに分かっている失敗を繰り返さないことにある。

ただし、ルールは多ければよいわけではない。ルールを守った結果、必要な説明や文章のリズムが失われることもあった。その場合は、ルールを外した案と比較し、原稿ではなくルールのほうを見直した。

過去のノートも、AIに答えを作らせるためではなく、原稿に足りない材料を探すために使った。必要な情報は、改めて一次資料で確認した。

今回の経験から、次の本へ持ち越すべきなのは個々のルールではなく、失敗を記録し、検査可能なものを仕組みに変え、不要になったルールを捨てる手順だと分かった。AIによって文章を作る費用が下がるほど、何を採用し、なぜ直したかを残す編集工程が重要になる。


【ここから記事本体】

生成で可能性を広げ、望ましい可能性が残る条件を設計する

2026年の夏コミに向けて、『AIエージェントが見つけたサーバーレス——任せられる実行基盤の設計』を書きました。元になったのは、『サーバーレスを支える技術』と『サーバーレスのまわりの技術』です。

nekoruri.dev

ただ二冊を足したわけではありません。体系的に書かれた本とコラム集をそのまま混ぜると、用語は多いのに筋が通らない「キーワード図鑑」になりかねないからです。既刊は、事実、図、過去における予測、比喩、設計上の問い、技術的な因果関係へいったん解体し、新しい問題設定のもとで組み直してあたらしい「サーバーレス総合書」としてまとめ直そうとしていました。

そこへAWS Lambda MicroVMsをはじめとするAIエージェント向け実行環境の発表が続きました。マイクロVM、スナップショット起動、ゼロスケール、短命な資格、ワークフロー。なるほど、追いかけるほど、サーバーレスが十年かけて磨いてきた、そして今まさにまとめ直していた原理・原則へと行き当たります。

そこで7月(元々の入稿予定は早割が効く7/11)に入ってから方針を切り替え、本書を「AIエージェントが、なぜサーバーレスの原理を必要としたのかを読む本」へ位置付け直し、書き直しはじめました。

この本をClaude、ChatGPT/Codexなどと書く中で、もう一つの再発見がありました。大切だったのは、望む文章を一度で出させるプロンプトの工夫ではありません。生成された候補のうち、何を残し、何を落とし、どの判断を次へ持ち越すかを設計することでした。

候補を生むだけでは、工学にならない。望ましい候補が残る条件を設計する。

一章は書けても、一冊にはならなかった

最初に壊れたのは、文体ではなく状態管理でした。もとの「まわりの技術」が2ページ1記事のコラム集であったこともあり、複数の会話セッションで章や節ごとに書いてもらうと、それぞれの出力は単独ではよくできています。ところが一冊につなげて読んでみると、同じキーフレーズや語り口が近い場所に現れ、あとで書く節に入れるはずだった一文は入れ忘れ、節番号を使った参照もずれました。個別の生成は成功していても、それでは本にならないのです。

人間は一冊を書きながら、「この表現は先ほど使った」「この比喩は後半へ取っておく」「この章では問いだけを渡す」といった判断を暗黙に保持しています。分割されたAIセッションは、その全書記憶を共有していません。

そこで、会話の中へ状態を積み上げるのをやめました。サーバーレスっぽく表現すれば、ファイルが状態で、チャットはステートレスな実行環境だと考えたのです。

各章の原稿ファイル末尾には、分量、構成判断、前後の章との接続、要確認事項、図版候補、キーフレーズを執筆メモとして残しました。本全体の状態は執筆キットへ集約し、目次、ページ予算、章間の依存、未執筆章への宿題、未検証の主張を持たせます。

新しい会話セッションは最新版の執筆キットを読み、担当部分を書き、通し調整を行い、新しい判断を執筆キットへ戻して加筆します。そして更新した執筆キットを次の会話セッションへ初回プロンプトとして渡す。長い会話を延命せず、短命な実行を耐久的な状態でつなぐcontinue-as-newの形です。

複数の短命なAIセッションが、Git上の原稿、執筆キット、検証債務台帳、章末メモを介してcontinue-as-newする図

本の中では、短命な実行環境から状態を外へ出し、耐久的な記録で仕事をつなぐ技術(Durable Execution)を紹介しています。本を作る工程も同じ形になりました。

壊れた場所から「執筆契約」が見えた

状態を外へ出すだけでは、一冊の整合性は守れません。何が壊れたのかを言葉にすると、文体より広い「執筆契約」が見えてきました。

後の章が前の章の問いへ答えるなら、前の章にはその問いを置く義務があります。後続章が一文を引用するなら、先行章側で文言を固定する必要があります。これを被参照台帳として管理しました。章は、前章から未解決の対象を受け取り、混同を分け、判断に使える成果物を作り、次章へ宿題を渡す入出力を持っています。本にも章間インターフェースがありました。

確定正本」とAIが名付けたフレーズ台帳も名言集ではありません。他章や巻末が依存する意味の置き場所です。ありがちな表現を台帳にした「文体チック」も悪い癖の一覧ではなく、「ここだけの話」「種明かしをすると」といった著者が使いがちな表現を、どの章へ割り当てるかを予算化して管理する台帳でした。

さらに、長く残したい原理を紙面に残し、料金や製品世代など変わりやすい情報はデジタル付録へ送る情報の寿命設計もあります。何を一次資料で支え、何を未検証として台帳へ残すかは、根拠管理として分けました。各部の最後には、単なる要約ではなく、部全体の判断を別の軸で並べ直す「思い返し装置」を無意識に置いていたことにも気づき、正式な執筆契約へ加えました。

種類 平たく言うと 今回の例
章間契約 章どうしの受け渡し 被参照台帳、問い、確定正本
文体と予算 書き方と使える量 文体基準、文体チック、反復密度
情報の寿命設計 情報をどこへ置くか 紙の本文、デジタル付録
根拠管理 主張を何で支えるか 一次資料、未検証リスト、検証シート
出荷条件 何を満たせば出せるか ページ、PDF、リリース検査

AIは、これらを最初から教えたわけではありません。生成された章をつないで通読したときの違和感から、人間が何を暗黙に守っていたのかをあぶり出しました。AIは文章を作る道具であると同時に、暗黙の編集判断を見つける手がかりにもなりました。

人間が確定した序章や前半章を、後続章の基準稿として使ったことは、実質的にfew-shotとして機能しました。文章は私の文体へ近づきましたが、対句、三項構成、決め台詞、問いかけ、比喩といった目立つ特徴も増えました。たとえば「同じ方向」「違う答え」「設計思想」という読み方は複数章に現れ、後に六か所から二か所へ減らしています。

few-shotは文体の傾向を伝えられても、その表現を使いまくってはいけないということまでは伝えていません。そこで、強い表現を文体予算として扱いました。一冊に一度だけ使う正本、一つの部をつなぐ比喩、近接してはいけない表現。強い表現は障害ではなく、適量なら文章のリズムを作り出す価値になります。文体予算は、著者らしさを減らすためではなく、使いどころを選ぶためにあります。

制約を一つのプロンプトへ押し込まない

ここまでを整理すると、制約は一つのプロンプトへ集めるものではなく、性質に応じて複数の層へ置くものでした。

平たく言うと 今回の例
事前分布 材料と基準稿 種本、基準稿、一次資料、LLM Wiki
表現空間 書き方の枠 章構成、表、執筆メモ、summary
意味契約 守る意味 章間契約、確定正本、根拠管理
予算 使える量 ページ予算、文体予算、チック
検査 既知の壊れ方を落とす 章構造、反復密度、ページ、PDF
権限 到達できる作用を絞る push、CI変更、履歴変更の承認
選択 人間による採否 二案比較、敵対的レビュー
時間 契約の履歴と寿命 契約改定、落選正本、Git履歴

広い候補空間から、材料、契約、予算、検査、権限、人間レビューを順に通り、出版候補へ絞り込まれる「制約スタック」

こうした制約を見つけ、適切な層へ置き、組み合わせ、効果を観測し、必要なら外すことを、「制約を工学する」と呼べそうです。

プロンプトやfew-shotは候補の出やすさを寄せるソフトな制約です。テスト、ページ上限、権限境界は、受理できない候補や作用を落とすハードな制約です。機械が正確に判定できるものほど硬い層へ置き、文脈に左右される判断ほど人間に近い層へ残しました。

同じ失敗が繰り返され、機械が比較的正確に判定できるものは、スクリプトへ移しました。確定正本の所在、文体チックの重複、章末の問いの数、ページ数、PDF構造などを検査します。「AIっぽい」という違和感も、「AではなくB」型、ダッシュ挿入、数え上げ、太字、スラッシュ連結といった反復パターンへ分け、章単位の上限と check_style_density.py へ落としました。

ただし、文章の品質を数値へ置き換えたわけではありません。良い文章はテストできませんが、既知の壊れ方はテストできます。 全検査へ通った原稿にも、費用と電力の関係を一般化しすぎた箇所、資格の自動失効によって可用性を壊し得る設計、遅延した実行との競合を防ぐ仕組みの不足が残っていました。これらはPR単位のレビューやコンテキストを初期化した敵対的レビューで見つかりました。

テストは人間を不要にするものではありません。同じ既知の事故を何度も探し直さずに済むようにするものです。自然さ、技術的な射程、安全性、反例、責任の引受先は、人間のレビューへ残ります。

制約自身を壊し、更新する

制約は多いほどよいわけではありません。入稿締切をなんとか延ばそうと、194ページを113ページ、58.2%まで圧縮した案は、図、表、脚注、正本、チックを維持し、全検査と、全ページの画像レビューをパスしました。それでも、この本にあるべき呼吸や、絶対に必要な説明が失われていたため採用しませんでした。

A5からB5に変更したときにも、AIが全書を一括で刈り込み、一度は上限へと収めました。しかし必要な文章まで落ちていると判断し、削減を復元しました。最終的には、空欄雛形を付録へ移し、重複する図を落とし、巻末を二層化し、著者が必要な箇所だけを再選別して112ページへ収めています。

うまくいかなかった試み 表面上の成功 実際に壊れたもの 残った知見
58%へ圧縮 ページ・検査・目視を通過 説明の間、本のリズム ページ数を品質の目的関数にしない
AIによる一括削減 上限へ収容 必要な予備説明 候補抽出はAI、不可逆判断は著者
全自動検査 全段成功 技術的な射程と安全性 敵対的レビューを残す
出典ID凍結の厳格化 不変条件を強化 正規の次刷作成 正規の工程を最初から最後まで通す
CIによる代替実行 必要な環境で処理 レビュー可能性と権限境界 権限不足時は迂回せず相談する

「つくる→壊す→観測する→直す→理由を契約・台帳・テストへ残す→次の生成へ」の循環

育てている契約が文章を守っているのか、不自然にしているのかを確かめるため、同じ章について二つの案も作りました。制約維持案では、章構造、確定正本、文体チック、章間契約を守ります。制約解除版では、それらをいったん外し、章の目的と入れるべき技術的内容から構成を組み直します。

解除版は、そのままでは完成稿になりません。後続章が依存する言葉や重要な限定が落ちることがあります。しかし、既存契約がなければ、章の中心語と因果がどこへ着地するかを見られます。最終稿では、解除版で見つけた自然な入口や表を維持案へ移植し、必要な正本と章間接続だけを戻しました。

これは、一度制約を外して何が崩れるかを見るアブレーション実験です。テストに落ちたことは、文章が間違っているという意味ではなく、過去の編集判断と違うという意味です。違いが意図的なら、本文ではなく契約を更新します。制約を追加するだけでなく、効果を観測し、緩和し、廃止するところまでが工学です。

外部記憶は、答えではなく知識差分を探すために使う

執筆途中から、元からメモやクリッピングを溜めていたObsidian環境でLLM Wikiを運用しはじめました。AIの知識を真実の源とせず、Markdownを保存先とし、AIは整理と探索を担います。

当時289本あった検証済みノートと完成済み原稿を突き合わせ、まだ原稿に使われていないが、加えると主張が強くなる情報を探しました。候補は本文、脚注、付録、追加検証、不採用へ分け、必要なものは一次資料から調べ直しました。LLM Wikiは答えではなく、過去の知識を候補空間へ戻し、原稿との差分を探すための長期記憶です。

ちなみに、このブログ記事を書くにあたっては、Claude、ChatGPT/Codexとの会話ログもLLM Wikiへ取り込み、「チック」「正本」「被参照台帳」などの言葉で発言を掘り、時刻をGitのコミットやPRと照合しました。Gitだけを見ると最初から存在していたように見える契約が、どの会話の違和感から生まれ、いつ台帳やスクリプトへ変わったのかを復元する、ちょっとした執筆考古学です。これはまた別の記事にまとめるつもりです。

次の本へ持ち込むのは、契約ではなく契約発見の仕組み

今回の流れは、候補を作り、反例を見つけ、その反例から次の制約を育てるCEGISという考え方にも少し似ています。今回の執筆を形式手法として設計したわけではありませんが、学習の形は近いものがあります。

章を生成する
    ↓
全書へ統合して読む
    ↓
同句重複、章間断絶、危険な断定を見つける
    ↓
再利用可能な失敗を契約・台帳・テストへ変える
    ↓
次の改稿へ適用する
    ↓
契約が邪魔なら、契約自体を外して再検証する

試行錯誤が知見に変わるのは、失敗の理由が次の制約になったときだ。

試行回数だけでは足りません。差分が見え、撤回でき、不採用理由が残り、次のセッションがそれを読めることが必要です。採用しなかった圧縮案、制約解除版、落選した図、解除した正本も、何を外すと何が壊れるかを示す比較対象になりました。

次の本に、今回の正本、チック割当、章構成、反復密度の数値をそのまま持ち込むつもりはありません。それらは、この本の条件の中で生まれたものです。再利用するのは、契約を発見し、試し、更新し、捨てるという制作ループそのものです。

book_state.md
  読者、読了後の変化、構成、締切、ページ予算

writing_contract.md
  現時点で分かっている編集判断

verification_debt.tsv
  未検証の主張、確認先、使用予定章、状態

experiment_ledger.tsv
  仮説、成功条件、観測結果、撤回理由、
  残した資産、新しく生えた契約、再試行条件

最初の数章はAIでドラフトし、少なくとも一章は人間が濃く直します。AI稿と人間稿の差分から、その本固有の編集判断を抽出します。複数章を統合して反復や章間参照を観測し、同じ失敗が二度起き、機械で誤判定しにくいものだけをテストします。重要な章では制約を外した案も作り、契約が文章を妨げるなら契約を更新します。

本の中では、AIエージェントが、短命な実行、状態の外部化、隔離、耐久実行というサーバーレスの原理を再発見しました。その本を作る過程では、私自身が、長編を書くための状態、契約、予算、検証を再発見しました。

AI時代になっても、試行錯誤の量が質へ転化するという原則は陳腐化しそうにありません。むしろ候補を作る費用が下がったことで、試行を知見へ変える工程の価値は上がっています。つくり、壊し、直す。そして、直した理由を次の生成へ残す*1。今回得た一番大きな経験は、百ページを超える本を短期間で書けたことだけではなく、この制作ループを一冊分だけ実際に回せたことです。

生成は、可能性を広げる。工学は、望ましい可能性が残る条件を設計する。

この工程で作った『AIエージェントが見つけたサーバーレス——任せられる実行基盤の設計』の詳細は、書籍紹介ページにまとめています。

nekoruri.dev

今週末のコミックマーケット、そしてその後はオンラインや各種技術同人誌イベントにて頒布予定ですので、よろしくお願いします!

*1:もちろん翔泳社さんの「つくって、壊して、直して学ぶ」シリーズへのオマージュです

オントロジー:セマンティックWebからFDEのその先まで

まえがき

オントロジーの話題が盛り上がってきているので、そういえばIoTプラットフォームをやっていたときに書いた記事があったなとチャッピーと対話していたら、ほぼ完成品のブログ記事をまるっと全部書いてくれたので、納得して満足しちゃったんですよね。さすがにこれをそのまま自分のブログとして載せる気にはならなくて、SNSに放流*1だけしていたのですが、あらためて自分の中でのオントロジーの位置付けを整理しておきたくなり、記事としてまとめなおすことにしました。

入口はIoTの経験から

この話の入口は、IoTのデータ処理について6年前に書いた記事です。センサーから上がってくる値を、データの形を決めるシンタックス、値の意味を細かく決めるセマンティクス、履歴や外部データと結び付けて価値を見いだすコンテキストの三層として整理しました。

d.nekoruri.jp

先日この記事を「単位を揃えよう、意味を合わせよう、文脈に紐付けよう」と自分で要約し直した*2のですが、あらためて読み返すと少し違いました。当時書いていたのは、温度は摂氏、湿度は百分率、位置はWGS 84と「数字の意味を細かく決めていく」こと。揃えることではなく、決めて明示することです。すべてを同じ単位へ正規化する必要はなく、どの物理量で、単位は何で、どう変換できるかを機械が判別できればいい。

Palantir文脈で「オントロジー」を聞く機会が増えましたが、現場に降ろそうとすると急にわからなくなります。SQLなのか、用語集なのか、RDFとOWLなのか。この記事ではこう捉えます。

現実世界の対象や出来事について、その型・性質・関係・制約・操作を、人と機械が共有できる形にしたもの

-8.4を-8.4のままにしない

たとえば、センサーからこんなデータが届いたとします。

{ "device_id": "A17", "timestamp": "2026-07-15T01:23:45Z", "value": -8.4 }

JSONとして正しいですが、業務上はほぼ何もわかりません。「-8.4」とは温度なのか、摂氏なのか、あるいは絶対温度……はさすがにないか。timestampは観測時刻なのか、センサーはどこに付いていたのか。そこで意味と文脈を足します。

type: Observation
observedAt: 2026-07-15T01:23:45Z
madeBySensor: Sensor/A17
featureOfInterest: Freezer/3
observedProperty: AirTemperature
result: { value: -8.4, unit: Cel }

これで「センサーA17が、冷凍庫3番の庫内温度を摂氏マイナス8.4度と観測した」という事実になります。さらに冷凍庫3番に保管されているアイスクリームのロットと温度ポリシーを関係で結べば、「許容上限を10分超過→温度異常→ロットを保留し点検開始」という判断と操作までつながります。シンタックス→セマンティクス→コンテキスト→識別と関係→制約・検証→判断とアクション、という階段です。

そして、ここまで明示すると「型推論」のようなものが効き始めます。unit: Cel があれば華氏への変換も「気温は平均してよいがIDは平均できない」という集計の選択も機械が判断できますし、OWLで「madeBySensorの主語はObservationである」と定義しておけば、関係を書いただけで型が推論されます。プログラミング言語の型推論とは別物ですが、「明示した分だけ、書かなくても導かれることが増える」という感覚はよく似ています。効いてくるのは正確には、意味的な型付け・検証・推論の三点セットです。

第一歩は、-8.4をただの-8.4のままにしないこと。

オントロジーは業務用語辞書ではない

「顧客とは○○である」と書くだけではシステムは動きません。営業の「顧客」と請求の「契約者」とプロダクトの「ユーザー」は、重なっても同じとは限りません。「意味を合わせる」とは全社で一つの言葉を使うことではなく、意味の違いと対応関係を機械が扱える形にすることです。最初から全社共通の巨大モデルを狙うと、すべてを支配する一つのオントロジーより先に、すべてを支配する定例会議が生まれます。限定された業務課題から始めるのが正解です。

寄り道: セマンティックWebが残したもの

オントロジーの源流にはセマンティックWebがあります。対象をURIで識別し、関係をRDFで書き、語彙をOWLで定義して、独立に作られたデータを横断利用しようという構想です。

遠い話に聞こえますが、2000年代にブログをやっていた人は体の一部で触れています。RSS 1.0の正式名称は「RDF Site Summary」で、フィードの先頭にはこう書いてあったはずです。

<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
         xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">

この xmlns:dc が指すDublin Coreは、タイトル・作成者・日付など15要素だけの小さなメタデータ語彙です(ちなみにこのダブリンはアイルランドではなくオハイオ州)。名前空間URIは「この語彙の意味はこの住所で一意に定まる」という仕組みで、理屈としては実にしっかりした枠組みでした。ただ、そのしっかりさが曲者で、書く側の実態は「動くと聞いたxmlnsの行をコピペする」呪文詠唱に近かった。枠組みは厳密なのに、書き手の理解と動機が追いつきませんでした。とはいえ、LLMのように文脈から柔軟に意味を汲んでくれるエンジンがない時代では、機械に意味を伝えるには、厳格に定義した語彙を正確に一致させるしかなかった、とも言えます。

白状すると、初稿では「うちのはてなブログの/rssは今もRSS 1.0だ」と書いていました。確認したらRSS 2.0で、dc:の宣言ごと消えていました。それでもdc:はあちこちにその足跡を残しています。WordPressのRSS 2.0フィードには今も dc:creator が付いていますし、学術機関や図書館で使われるOAI-PMHではDublin Core(oai_dc)が基盤になっています。フルセットとしては残らず、名札が残りました。

セマンティックWebが残した最大の教訓は、「記述形式を統一しても、意味は自動的には揃わない」ということです。仕組みの上では誰でも語彙を定義して公開でき、実際に何百という語彙が生まれました。でもその先には壁が並んでいます。誰が定義を保守し続けるのか。何を同一とみなすのか。定義を変えたら誰が困るのか。そもそも、書く側にどんな利益があるのか。この壁を全部越えて広く使われるに至った汎用語彙は、Dublin Coreを筆頭に数えるほどしかありません。

意味を揃えるために本当に必要だったのは、記述形式ではなく、定義を保守しつづける主体と書く動機のほうでした。セマンティクスは技術の問題であると同時に、組織設計とガバナンスの問題です。

もう一つの教訓が、推論と検証は別の仕事だということ。OWLは公理からの知識導出が得意ですが、「記述されていない事実は偽」とはみなさないオープンワールド仮定を採るため、「観測時刻は必須」のような入力検証には向きません。だから検証にはSHACLが別途標準化されました。この区別は、JSON SchemaやDB制約、dbtのテストを設計するときにそのまま効きます。

普及についてはSchema.orgの教訓があります。「この語彙で書けば検索結果がリッチになる」という具体的な利益を用意したから広まった。たとえばレシピページにこう書いておくと、検索結果に星付きの評価が表示されるようになります。

<script type="application/ld+json">
{
  "@context": "https://schema.org",
  "@type": "Recipe",
  "name": "冷凍庫3番の管理者を労うチョコモナカジャンボ",
  "aggregateRating": { "@type": "AggregateRating",
                       "ratingValue": "4.8", "ratingCount": "84" }
}
</script>

もっと身近な例はOGPです。SNSでリンクカードを出すために、誰もがこう書いています。

<meta property="og:title" content="オントロジー:セマンティックWebからFDEのその先まで" />
<meta property="og:type" content="article" />

実はこれ、RDFa由来の仕様で、og: は名前空間のプレフィックスです。正式には <html prefix="og: https://ogp.me/ns#"> と宣言するのですが、省略してもクローラーのほうが解釈してくれます。つまり、あの頃コピペしていたxmlnsの呪文は、形を変えて今も全員が書いている。違いはただ一つ、貼ればすぐにカードや星という見返りが返ってくることです。意味付けのコストに見合う利益が見えると、人は動きます。

PalantirとFDE

企業向けに語られるオントロジーは、この問題意識を、境界と責任主体が明確な組織の中へ持ち込んだものです。PalantirのOntologyは、対象をObject・性質をProperty・関係をLinkとする「semantic elements」に加え、ActionやFunctionで業務を動かす「kinetic elements」を持ちます。意味を記述するだけでなく、組織が認識している世界と、そこに対して実行できる操作をモデル化します。

このモデルを作るために現場へ入るのがForward Deployed Engineer(FDE)です。現場の人が何を見て判断しているかを調べ、部門ごとの用語の衝突を調整し、例外と責任分界を見つけ、モデルをアプリと業務操作に落とす。Before LLMの世界では、この一連を人間がほぼ手作業でつないでいました。FDEとは、現場の言葉・データの言葉・ソフトウェアの言葉を行き来する、人間のアダプターでした。

LLMは意味を掘り出せるが、決められない

LLMはこのコスト構造を変えます。DDL、SQL、API仕様、議事録を横断的に読み、どのテーブル群が一つの業務オブジェクトか、二つのカラムが同じ概念か、といった候補を出し、変換コードもテストも下書きできます。すでに書かれたものを手がかりに「たぶんこういう意味だろう」を掘り出す仕事は、劇的に速くなりました。Palantir自身も「AI FDE」というエージェントを出しています。

しかしLLMが掘り出せるのは、既存情報から見て「もっともらしい意味」まで、です。契約主体と利用者のどちらを顧客と呼ぶのか。解約済みは今も顧客なのか。CRMと請求システムのどちらを正とするのか。これらはデータをいくら読んでも一意に決まらない、「業務上の境界を決める問題」です。しかも決めた定義には、いつから適用するのか、どの範囲に効くのか、変えるときは誰の承認が要るのか、が付いてまわり、売上集計やアクセス権や法令対応に波及します。掘り出す仕事は速くなりましたが、これからの意味を決めて組織に効かせる仕事は、人間側に残ります。

全自動を信じるのも楽観的すぎます。2025年のPVLDB論文では、LLMによるカラムの意味型付与が、公開ベンチマークではそこそこでも実際のSAP由来データでは大きく落ち、社内固有項目は内部知識なしにほぼ対応できませんでした。ZZ_STATKUNNR は、社内の運用を知らなければ解釈できません。データは長い歴史を圧縮した地層で、考古学者役のLLMも、発掘現場の人に聞かないと年代を盛大に間違えます。

つまり関係は双方向になります。LLMがオントロジーの候補を作り、「オントロジーがあるからLLMが企業内でまともに働ける」。コンテキストを整えずにAIを入れると、知性が増えるのではなく、曖昧さが高速に増幅されます。

人間の仕事は「記述」から「決定」へ

人間の仕事は、項目を一つずつ読んで対応表へ転記することから、どの業務判断をモデル化するか、どの概念を公式に採用するか、どの推論とアクションを自動化してよいか、誤った意味付けがどんな損害を生むか、へ移ります。写経する人から、意味を編集し、決める人へ。コードを書く量が減っても責任は減りません。一人の判断がAIを通じて大量のデータと操作に適用されるので、レバレッジと危険性が両方増えます。

実践形は「LLMが提案し、決定的な仕組みが検証し、人間が承認する」ループです。変更はリスクに応じてレビュー強度を変えます。表示名の追加は自動適用、マッピング候補は担当者レビュー、同一性ルールの変更は複数人承認、請求や在庫に関わるActionは厳格な監査。AIエージェントに渡す権限の設計は、事前の制約と事後の監査の組み合わせ問題になっていきます。

現場では何から始めるか

専用製品は要りません。DB、JSON Schema、dbt、ワークフローエンジンで実装できます。まず業務上の判断やアクションを一つ選びます。「温度異常が起きたら影響ロットを特定して点検を開始する」くらいの粒度でいい。そこから逆算して、対象と出来事を列挙し、ID・単位・時刻・関係・出典を明示し、制約と判定ルールを定義し(推論と検証は分けて)、アクション・権限・監査へつなぎ、LLMに候補を作らせて人間が承認します。重要なのは使った製品ではなく、何を明示的にモデル化したかです。そして「これを整備すると誰のどの判断が速くなるか」を最初に言えるようにしておきます。

おまけ: 次の2年の軽い仮説

2028年の自分が答え合わせできるように書いておきます。

1. 「意味の編集者」が職種としてあらわれる

LLMが調査と実装を安くした結果、残った「意味の決定と承認」が独立した職能になり、コンテキストエンジニアやオントロジースチュワードといった肩書が2年以内に求人票に現れる。PMとデータエンジニアの間に空いていた椅子が名前を持ちます。

2. 意味の変更がプルリクエストになる

用語集がWikiで腐る時代が終わり、オントロジーと検証ルールがGit管理され、LLMがブランチで提案し人間が承認する形が標準になる。dbtやSHACLのテストは意味の回帰テストとしてCIに載ります。人間がレビューする中間表現として、小さなDSLが増えるはずです(これは別の記事で書きます)。

3. アクション設計の第一級要件が「取り消せるか」になる

全操作を事前ガードレールで縛るのは無理筋で、可逆な操作は事後監査つきで緩く許可し、不可逆な操作だけ厳格に承認するポートフォリオ設計に振れる。冪等性とロールバック可能性がAction定義の標準フィールドになります。

外れたら2028年に笑ってください。

おわりに

現場での第一歩は6年前から変わらず地味です。単位を明示する。意味を定義する。対象・時刻・出典に結び付ける。そこまで整えると、意味的な型付け・検証・検索・導出、いわば意味の世界の型推論がうまく効き始めます。

LLMは意味の探索と記述を安価にしました。冒頭の「チャッピーが全部書いてくれて満足しちゃった」も、書くだけなら安価になったがゆえの風景です。でも、どの意味を採用し、どこへ適用し、誰が責任を持つかを決める仕事は、まったく安くなっていません。あのとき、よく書けた下書き*3をそのまま自分のブログに載せる気にならなかったのは、たぶんこの仕事がまるごと残っていたからです。

AI時代に問われるのは、誰が意味を「書く」かではなく、誰が意味を「決め」、その結果に責任を持つのか、です。

参考リンク

*1:https://x.com/nekoruri/status/2077533500492874147

*2:https://x.com/nekoruri/status/2075487743682159079

*3:「よく書けた下書き」という表現はAIが書きました

最近よく見ているAI情報源まとめ:ニュースレター

最近のAI情報収集で見ているニュースレター紹介

今回紹介するのはこちら!

新しい情報の流れがあまりにも加速しすぎている昨今、情報収集先としてニュースレター(和製英語で言うところの「メールマガジン」)が自分の中で復権してきています。というわけで、このあたりを眺めておくとざっくり今の流れが分かるおすすめニュースレターの紹介です。

The Information

www.theinformation.com

有料テックメディアの雄、最近のOpenAIやAnthropicの内部事情のスクープはだいたいここ発。本来は有料だけど、無料プランでもかなり情報源として有用で、近いうちに有料プランに切り替えたいニュースレターのひとつ。二次情報が飛び交う前の「元ネタ」を早めに気付けるのは大きい。

SemiAnalysis

newsletter.semianalysis.com

半導体×AIインフラ分析の総本山。徹底した調査と分析に基づいていて、GPU供給チェーン、データセンター、アクセラレータ市場の解像度がめちゃ高い。無料公開部分だけでも十分濃いです。AIの話が結局「電力とチップとメモリ」の話に収束していく今の流れを、ここを読んでおけば土台の物理層を追いかけられる。

Turing Post

www.turingpost.com

歴史的文脈込みでAI/MLを解説するニュースレター。AI 101シリーズや、JEPA・世界モデル・agentic workflowといったテーマの系譜を丁寧に追う記事が持ち味で、速報よりも「この技術はどこから来てどこへ向かうのか」を整理して見せてくれる。

TLDR AI

tldr.tech

平日毎日届く、5分で読み切れるリンク集型ダイジェスト。モデルリリース、資金調達、研究・OSSの動きを最小限の文章で並べてくれるので、朝の「今日何があったか」を幅広く知れる。TLDR一族には本体(総合テック版)のほかWeb Dev、InfoSec、DevOpsなどの分野別ニュースレターがあるので、守備範囲に応じて組み合わせると良い。

AINews: Weekday Roundups (Latent.Space)

www.latent.space

主要なAI系Discord・Reddit・Xの議論をAIで要約し、人間がキュレーションして平日毎日届くという、構造からして現代的な代物です。Karpathyが「いまベストのAIニュースレター」と評し、PyTorchのSoumithが「毎日の最も leverage の高い45分」と言う界隈公認の存在らしい。1通が長大なので全部読むというより、ざっと眺めて興味がある記事を拾っていく感じ。

ML_Bear Times

www.ml-bear-times.com

日本語勢からはこれ。ML_Bearさんが運営する、毎日朝夜配信のAIニュースレター。X界隈の反応込みで日本語にまとめてくれるので、英語ソースを追った後の「答え合わせ」にもなる。

SecHack365 が気になっているあなたへ

こんにちは、nekoruriです。SecHack365でトレーナーをやっています。

この記事は、SecHack365の存在は知ったけど応募するかどうか迷っている人に向けて、公式サイトだけだと分かりづらいポイントなどを、いちトレーナーの立場から、書いていこうと思います。とくに「自分には早い気がする」「セキュリティの専門家じゃないし……」「1年って長すぎる」と、応募するか悩んでいる人にこそ読んでほしいです。

そもそもSecHack365 is なに?

sechack365.nict.go.jp

ざっくり言うと、25歳以下が対象の、1年間(正確には6月〜翌3月)の長期プログラムです。NICT(情報通信研究機構)という国の研究機関が主催していて、参加費は無料。学生と無収入の方は、集合イベントの旅費・宿泊費も全額補助されます。社会人の方でも(旅費・宿泊費の補助はないですが)参加可能です。パンフレットにも書かれているとおり、実際に小学生から新卒数年目のエンジニアまで参加者がいます。

“SECURITY + HACKATHON 365 DAYS”と「ハッカソン」が名前についていますが、週末二日間とかで勢いで何か作るやつとはだいぶ違い、1年間かけて、サイバーセキュリティに関わる研究・開発・制作に取り組む長期ハッカソンです。年6回ある全体イベントが「みせる場」のマイルストーンになっていて、その間はトレーナー(メンター)と密に相談しながら開発・研究を進めます。

今年度は6つコースがあって、それぞれ違うアプローチで一年間を過ごします。

「セキュリティ」なんだよね?

応募を検討する人がまず引っかかるのが、たぶんこの「セキュリティ」という看板。でも実際の修了生作品を眺めてみると、話の幅は思っているよりずっと広いです。

sechack365.nict.go.jp

セキュリティ技術とひとことに言っても、よくある質問にあるとおり、様々な関わり方があります。

セキュリティに少しでも興味があれば、どなたでも応募は可能です。ソフトウェア研究・開発に興味があったり、さまざまなアイディアを考えるのが得意であればぜひ応募してください。 高度な知識は必須ではありませんが、セキュリティに関する基礎的な知識(サイバー攻撃の種類や仕組み、基本的な防御手法など)があることが望ましいです。 具体的には、以下のような方が本プログラムの対象者です。

  • セキュリティ技術に関わる研究者を目指す方(研究者志望)
  • セキュアな研究・開発能力を身につけたい方(開発者志望)
  • セキュリティ関連システムの研究・開発能力を身につけたい方(開発者(セキュリティ分野)志望)
  • セキュリティ技術にもとづく起業を目指す方(起業家志望)

セキュリティ的な「なにか」を自分のテーマと接続できれば、ぜひ応募歓迎です。AIセキュリティ、プライバシー保護、安全な開発体験、誤った操作を防ぐUI、堅牢なプロトコルの設計……どれも立派な「セキュリティ」です。実際、修了生のブログでも「セキュリティに関係するテーマなら幅広く受け入れられる、安心してほしい」と書いている人がいます。

その一方で、SecHack365はセキュリティを体系的に教わるプログラムではありません。もちろん、講義や助言、トレーナーとの相談、法律や倫理に関する学び、研究・開発に役立つインプットはあります。ですが、中心にあるのは、自分のテーマに必要な知識を自ら付けていく、という前のめりさです。

求められる技術力

もう一つの引っかかりが、技術力。「SNSに流れてきた修了生のすごい作品を見て、自分のレベルじゃ無理だと思った」という声は少なくありません。 これは、はっきり言って逆で、修了後に輝いている姿と、入口の自分を比べるのは不公平な比較です。

たしかに応募時点でもいろいろな分野を得意としている受講者がいます。そして、うっかり脳内でそれら全部を合体させた「架空の最強トレーニー」と自分を比較してしまいます。そんな人は居ません。あなたが知らないことを知っている人がいるように、あなたが持っている視点を持っていない人もいます。あなたが得意なことが、他の人には新鮮に見えることもあります。自分と違う強みを持つ人たちと一緒に1年間走れることが、SecHack365の価値です。

実際の修了生ブログを読んでみると、こんな出発点の人がいます。

  • プロダクトデザイン学科卒、プログラミング未経験で表現駆動コースに参加した方(t3nさんの体験記
  • 「低レイヤーなどなんぞいレベル,セキュリティとは全然違う分野に興味がある」(hamo203さんの体験記
  • 「技術力が低くてもアイデアと熱意が伝われば何とかなる部分はある」(Suisan-nekiさんの修了記

応募の段階で必要なのは、「自分で調べて、試して、説明しようとする姿勢」です。コースによりますが、表現駆動コースなどまだ取り組みたいテーマが決まっていなくても歓迎しているコースもありますし、開発駆動コース世界観駆動コースのように明確に応募時にテーマがイメージできていることを前提としているコースもあります。

技術力なんてのは1年かければぶっちゃけなんとでもなります、でも、伸ばすのはあなた自身です!

動くものを作りきろう

SecHack365で一番大事なのは、「とにかく動くもの*1を見せよう」という点です。

自分なんかも学生時代を思い返してみると、「動くプロダクトを最後まで作りきった」経験を持っている人は意外と少ないです。 「動かす」ところまではやっても、「他の人に使ってもらえる状態にして、フィードバックをもらって、改善する」というサイクル全体を回した経験がないまま卒業する、というのはわりとよくある話ではないでしょうか。

SecHack365の1年間は、これを獲得しに行く場所として優秀です。

  • 年6回のイベントとして発表してフィードバックをもらうことが組み込まれているので、「作って終わり」にならない
  • 使ってもらうことを意識して磨く過程を、トレーナーや他の受講生と並走しながら経験できる
  • 習慣化して取り組みつづけるための講義を通じて、継続するためのやり方を学べる
  • 外部の研究者などに作品を見せて相談できる機会がある

「1年間で大きなものを作る」と聞くと、最初から壮大な設計図が必要に見えるかもしれません。でも実際には、1年間を支えるのは、日々の小さな進捗です。大きな成果を突然出すより、小さなアウトプットを積み重ねることが重要です。

そして修了後にも発展している作品もたくさんあります。OSSとして継続開発される、登壇のネタになる、学会発表につながる、起業や事業化のタネになる、就職時のポートフォリオになる、これは「動くところまで作りきった」からこそできることです。

そして2026年度は、コーディングAIが当たり前になった世界での最初の1年目です。AIでコードはどんどん書けるようになっていきますが、AIが書いてくれるのはあくまでコードであって、「世の中で動いて、使われて、価値を出すプロダクト」を作るのは依然として人間の意志であり仕事です。コードを書く部分がAIに任せられるようになるからこそ、「動くものを作りきって世に出す」プロセス全体を経験できることの価値は、これから上がっていくと思っています。

「自分はちゃんとしたプロダクトを作り上げたことがない」と引け目を感じている人こそ、SecHack365でそれを経験しにきてほしいです。

1年という長さで得られるもの

SecHack365の最大の特徴はやはり「1年という長さ」です。色々な機会を提供します。

  • 同じテーマを何度も発表して、何度もフィードバックをもらえる
  • 失敗してもやり直せる(途中でテーマを変える人も普通にいます)
  • 「とりあえず作ってみる → 見せる → 考え直す」を何周もできる
  • 同期トレーニーやトレーナーとの関係が深く、長く続く

ただし、1年は長いです。学校、仕事、研究、就活、体調、ほかの予定と並行しながら続けることになります。毎週すごい進捗を出す必要はありませんが、イベントや提出物に向けて、自分のテーマを継続して進める時間は必要です。SecHack365は楽しい場所ですが、楽な場所ではありません。

その一方で、その1年を共に乗り越えた修了生のコミュニティは、修了後も活きています。修了生有志によるCTF大会や、毎年のアドベントカレンダー、技術書典での同人誌頒布など、受講者としての一年間が終わってからの活動もたくさんありますし、アシスタントとしてSecHack365そのものに直接関わりつづけることもできます。修了後のキャリアの広がりも幅広いです。

修了生ブログを読もう

ここまでいくつか修了生のブログを紹介してきましたが、実際のところを知りたいなら修了生のブログを読むのが圧倒的に早いです。応募者目線で書かれた一次情報がたくさんあります。特に「どのコースが自分に向いているか」というコース選びには、修了生の体験がいちばん参考になるはずです。

はてなブックマークの「sechack365」タグ検索から、各年度・各コースの体験記がまとめてたどれます。特に応募で迷っている人は、自分と似た境遇の修了生のブログを探してみてください。

おわりに

SecHack365は「すごい人が集まる場所」と言われがちで、応募をためらう人もよくいます。でも、本当に必要なのは「モノづくりでなにかを解決してみたい」という気持ちと、「1年やり切るぞ」という意気込みです。それさえあれば、入口の技術レベルは思っているほど高くないです。

SecHack365はすべての人に合うわけではありません。セキュリティを体系的に教わりたいだけの人、テーマを完全に与えてもらいたい人、1年間の時間をどうしても確保できない人、未完成のものを人に見せたくない人には、少ししんどいかもしれません。ただし、「技術力に不安がある」だけなら、それは応募をやめる理由にしなくてよいと思います。むしろ、その不安を持ったまま飛び込んで、1年間で自分のテーマと技術力を育てる場です。

少しでも気になっているなら、申込フォームから課題をダウンロードして見てみてください。応募課題を書く過程そのものが、自分の「やりたいこと」を整理する貴重な時間になります。

2026年度の応募締切は、この記事公開から一週間後の「2026年5月12日(火) 12:00」です。

これからこの一週間が、皆さんにとって良い成長の機会になることを楽しみにしています!

sechack365.nict.go.jp

そうそう、私が担当する「世界観駆動コース」もよろしくです!

*1:ソフトウェアに限らず、研究論文、小説、動画、アートまで歓迎です

新刊紹介:めもおきば TechReport 2026.04

技術書典20のオンラインマーケットが本日 4/26 までです。

techbookfest.org

ということはつまり、技術書典経由で紙の本を買えるのも今日までです! 紙の本が欲しい方は、今日のうちにぜひお願いします。電子版はいつでも買えますが、同じ金額で紙の本も入手できるのは会期中だけです!印刷物は物理法則に支配されています。

というわけで、今回の新刊『めもおきば TechReport 2026.04』の紹介です。

めもおきばTechReport 2026.04 表紙

時間がない人向けの紹介

サーバーレスの次に来る実行モデル、SecHack365、台湾・新竹サイエンスパーク訪問記、そして2026年の技術トレンド予想をまとめた、全24ページの技術コラム雑誌です。

今回の中心は、「いま技術の地図はどの方向に広がっているのか」です。Durable、AIエージェント、ローカルLLM、データ基盤、半導体産業、高速交通、若手人材育成。いろいろな視点から、「これからの計算機環境をどう捉えるか」というテーマに向き合っています。

物理本がほしい方は、技術書典20のオンラインマーケットが今日までなので、今日のうちにどうぞ!

techbookfest.org

記事ごとの内容紹介

今回の『めもおきば TechReport 2026.04』は、もともとの TechReport らしく雑誌形態に戻りまして、最近気になっている技術や現地で見てきたものを、いくつかの短い記事としてまとめた本です。

前回の『サーバーレスのまわりの技術』では、サーバーレスを支える周辺技術を広く整理しました。今回はそこから少し進んで、「では、サーバーレスの次に何が来るのか」「AI時代のクラウドや開発環境はどこへ向かうのか」というところを、もう少し雑誌的に拾っています。

サーバーレスなキーワード:新しい実行モデル「Durable」

これまでの FaaS は、ステートレスであることを大前提にしてきました。関数は短く終わる。状態は外に出す。イベントでつなぐ。これはスケールする仕組みとしては素直な制約なのですが、業務処理やAIエージェントのように、長時間待つ、途中で止まる、人間の承認を待つ、状態を持って再開する、といった処理を書こうとすると急にしんどくなります。

そこで出てくるのが Durable Functions (Azureだけでなく、AWSからも出てきましたね!)や Durable Objects、Temporal、Step Functions、そして直近で言うと Claude の Managed Agentsなんかも出てきました。要するに、「関数を一回呼んで終わり」ではなく、「継続可能な実行」というのを当たり前に扱う方向に、実行モデルが変わりつつあります。この記事では、そのあたりを Durable というキーワードから整理しています。

SecHack365に応募しよう

私は SecHack365 にトレーナーとして関わっているのですが、これは25歳以下の若い人たちが、1年間かけてセキュリティに関するものづくりを進めるプログラムです。

sechack365.nict.go.jp

単に講義を受けるだけではなく、作る、見せる、意見をもらう、また作る、というサイクルを回していく場です。毎週のゼミ定例、オフラインイベント、発表、ポスターセッション、縁日と呼んでいるワークショップなど、技術を育てるための場としてかなり面白い仕組みになっています。

興味のある25歳以下の方、あるいは周りにそういう若者がいる方は、ぜひ見てください。これは本当に宣伝です。こういう機会は、使えるときに使った方が良いです。

台湾の新竹サイエンスパーク行ってきた

新竹は、台湾の半導体産業の中心地として知られています。TSMC の本社がある場所、というイメージが強いと思いますが、実際に行ってみると、単なる工業団地というより、大学、研究機関、企業、高速交通がまとまった研究産業都市という印象でした。

台北から台湾高鉄で30分ちょっと。桃園空港からも近く、台湾全体が高速鉄道でぎゅっと圧縮されている。その中に半導体産業の研究開発と意思決定の中心がある。これは日本のつくばとも、秋葉原とも、ラピダス周辺の北海道とも少し違う、かなり独特な都市構造です。

あいにく当日は雨でしたが、雨の新竹サイエンスパークの写真も入れています。技術評論本なのに突然の旅行記です。こういうのも TechReport っぽいということで。

2026年技術トレンド予想

毎年12月号に載せているのですが、冬コミに間に合わなかったので今回の掲載になりました「年末恒例の技術トレンド紹介」です。

前回の2025年予想を振り返りつつ、2026年に向けて見ておきたい技術の流れを整理しています。

データ基盤では、Apache Iceberg、DuckDB、dbt、Snowflake などを中心に、Open Table Format とレイクハウスの現状を見ています。パブリッククラウド動向では、いわゆるネオクラウドやGPU需要、クラウドの役割変化にも触れています。

AIまわりでは、コーディングエージェント、ローカルLLM、AIプラグイン、そしてAIボトルネック地図を取り上げました。

最近のAIは、モデルだけ見ていても全体像がつかみにくくなっています。GPU、HBM、TSMC、電力、送電網、データセンター、冷却、ソフトウェア、エージェント実行環境。どこか一つだけが進んでも、別の場所が詰まる。そういう意味で、AIの進化はかなり物理の世界に引き戻されてきています。

目次

  • 新しい実行モデル Durable
    • Durable Functions
    • 実行モデルの変化
  • SecHack365 に応募しよう
    • SecHack365 とは
    • オフラインイベント
    • オンライン活動
    • 参加募集と説明会
  • 台湾の新竹サイエンスパーク行ってきた
    • 台湾新幹線がつなぐ研究産業都市
    • 雨の新竹サイエンスパーク
    • 日本でいうと?
  • 2026年 技術トレンド予想
    • 「2025年予想」の振り返り
    • パブリッククラウド動向
    • コーディングエージェントの先へ
    • ローカルLLM
    • ガイドラインとしてのAIプラグイン
    • AIボトルネック地図

技術書典20での頒布

技術書典20のオンラインマーケットは本日 4/26 までです。

会期中は技術書典オンラインマーケットから紙の本を購入できます。紙の本が欲しい方は今日がラストチャンスです。大事なことなので何度でも書きます。紙の本は今日までです。

techbookfest.org

会期後について

会期後の頒布については、電子版や BOOTH などでの取り扱いをあらためて案内する予定です。

ただし、紙の本を技術書典経由で買えるのは本日までなので、物理本が欲しい方はぜひ今日のうちにお願いします。